演劇・ミュージカル好きなサッカー少年

沖縄県那覇市出身の川平慈英は、1972年5月15日の沖縄本土復帰に伴う父親の転勤の都合で、東京に引っ越してきました。
当時の父親の職業はアナウンサーだったので、その仕事の都合で東京に転移したそうです。

高校は玉川学園高等部の出身で、ここは川平慈英の他にも様々な有名人の出身で有名です。
川平慈英の他には、タレントのDAIGO、女優の川上麻衣子藤田朋子、演出家の宮本亜門がいます。豪華なメンバーですね。

今ではCMの楽天カードマンで有名な川平慈英ですが、子供の頃は、読売クラブのユースに入っていました。読売クラブユースは、サッカークラブです。

そこに入っていた川平慈英は、プロのサッカー選手を目指して日々練習していました。
そして、アメリカのテキサス州立大学にサッカー留学までしています。本気でプロを目指していたようです。
サッカー留学をしたのいいものの、現地のサッカー監督と折り合いが合わず、メンバーから外されてしまったとのこと。
サッカーが上手いだけではプロにはなれないんですね。
メンバーから外されたことで、プロサッカー選手になる夢は諦めてしまったそうです。

ここまでのサッカー話をしていると、川平慈英はスポーツ少年だった様に見えます。
実際にスポーツ少年だったわけですが、実はスポーツだけをひたすらやっていたわけではないのです。
川平慈英はスポーツの他にも、中学時代から演劇やミュージカルが好きでした。
演劇やミュージカルのサークルが無かったことから、他の仲間と自分でサークルを作るほど好きだったそうです。

サッカー、演劇やミュージカルを中学と高校で打ち込んできた川平慈英ですが、サッカー選手になる夢が破れたあと大学は、上智大学比較文学科に入学しました。
そこで、英語の教師を目指して勉学に励んでいました。

英語の教師を目指した理由ですが、母親はアメリカ出身で母親との会話は英語だったので、英語が身近あったということがあったのではないでしょうか。
お陰で、サッカー留学でアメリカに行った時は特に英語には困らなかったそうです。
教師を目指したもう一つの理由として、諦めてきれなかったサッカーへの夢がありました。
サッカー部の顧問になりたい、との夢があったそうです。

そんな中、大学在学中にミュージカル俳優としてデビューし、今の川平慈英へと繋がっているのです。
サッカーへの夢は破れてしまいましたが、結果的に好きなミュージカルでミュージカル俳優としてデビューしたのですね。