山田孝之の東京での生活

北海道で生まれ育った山田孝之は東京の生活に慣れるまでに一苦労しました。北海道は自然に囲まれてとても過ごしやすい環境でした。高校を卒業するまで18年間は自然に囲まれて生活していたので、急に大都会での生活に四苦八苦するのは仕方が無いことです。毎日電車に揺られて片道40分間の通勤は今でこそだいぶ慣れましたが、社会人となり東京に住むようになってから、満員電車に乗るのが苦痛になってしまったこともあって今まで本当に大変な思いをしてきたことを考えると、よく3年間我慢してきたなあと思っています。

山田孝之の地元は北海道の富良野市なので、地元に住んでいたときは電車を利用することがなくて、移動をする際は親の車で移動するのが一般的でした。そのような状況の中で横浜の大学に進学し4年間市内で生活をして、生まれ育った北海道に戻ろうと思ったときもありましたが、本当に自分がやりたい仕事は北海道にはない、せっかく就職をするなら東京で勝負がしたい!と思いが強くなってそのまま北海道に戻ることなく東京で就職をしようと思ってOBのいる会社に就職をすることができました。そのまま北海道に戻って社会人の生活をしても良いと思いました。しかし若いうちは自分の価値を高めるためにも一度きりの人生を楽しみたいという思いもあって東京で就職をすることにしました。

東京は人口が多くて人ごみが苦手だった山田孝之は、何度も北海道に戻りたいと思ってしまう弱い自分がいました。そのような状況の中で親や友達の励ましがあったからこそ、この状況を乗り越えることができ、大変な部分もありますが東京の生活を楽しんでいます。もし大学を卒業してから北海道に戻っていたら、ここまでやりがいを感じることなく平凡な毎日を過ごしていた可能性が高いです。東京での生活は大変なこともありますが、とても刺激があって自分がどんどん成長していくことを感じていました。

会社から初めてもらった給料で両親にプレゼントを購入してあげました。山田孝之にとって社会人になってはじめての給料でしたが、給料をもらったら必ず親にプレゼントをしようと決めていたので、本当に両親も喜んでくれていました。今、山田孝之は結婚を前提に付き合っている彼女がいますが、いずれは結婚を決めてまた両親を喜ばせてあげたいと思っています。そのときは海外で挙式をしたいという夢があるので、みんなをハワイに連れていきたいので、その資金も今から頑張って貯めようと仕事に奮闘しています。